7L3ATQ北海道移動 (2000冬の巻) 

7L3ATQ北海道移動運用記(速報版)

7L3ATQ 岡本 博

(第一報)

 またまた船の上から今日は(冬の北海道便り 第一報)

 岡村さん、JA1YVTの各局、愉快な仲間の皆さん久しぶりにさすらいのバーダー、漂泊の無線屋 7L3ATQ の登場です。

なーんちゃって一寸格好の付け過ぎかな?では改めまして御挨拶。

今年も一年皆様には大変お世話になりました。何しろ無線は一人では出来ません。交信して頂く御相手がいてこそのKing ofHobby。また来年も是非とも色々な所でお付き合い宜しくお願い致します。

 いよいよ待望の年末年始連休に突入。またまたATQは大洗発苫小牧行のフェリーに乗ってしまいました。「えー!また北海道かよ他に行く所は無いのかよ!!」と言う皆様の声が三陸沖まで飛んで来ても不思議はありませんね。何しろ冬の道東は11年連続、季節を問わず北海道は中学生の時から通い詰めそろそろ40年近くなるのですから。でもやはり北海道は日本ではダントツに自然が豊かで何回きても見飽きない所です。もし一度も訪れたことが無い方、1、2度訪れてもう全部見たと思っている方がいましたら一寸考え直して下さい。今度行った時にまた新たな発見が有るでしょう。

 12月28日(木)年末最終日は半日勤務。慌ただしく会社を飛び出したのは14:00過ぎ。急いで冬タイヤに交換し撮影&無線機材を積み込んで17:40に多摩市の自宅を出発。府中→練馬→外環道→常磐道→水戸経由で大洗フェリーターミナルに21:30に到着。年末の帰省時期にしては順調なスタートで22:30に係員の誘導で“さんふらわーみと”の船内へ。出航は23:59 何で0:00ではないのかな?やはり零時では時刻表に書く日付に迷うからかな?等と連休を前にして心に余裕のあるATQは紙コップの生ビールを飲んでウトウトしながら考えていました。

 一夜明ければ金華山沖。宮城県の牡鹿半島の沖合いに浮かぶ信仰の島、自然が豊かで鹿と日本猿が棲息する所です。そうそう此処の猿は海辺に下りて海草を食べる学術的にも珍しい習性をもっている。

海を生活の場にしているものでは宮崎県の幸島(こうしま)で食物を海水で洗う猿があまりにも有名ですね。どちらも簡単に渡れますので興味の有る方は訪れて見て下さい。

 ゆっくりと朝食を済ましたあとは定番の無線M/M運用。デッキに大型三脚、ATQポール、145-430共用のWH59を設営し、最近局数が減ってきたのでいつもの5Wハンディ機でなくモービル機でパワーアップしようと接続したまでは良かったが……

なんとナント電源ユニットを船内に持ち込み忘れ!仕方なく予備のVX-1 0.5W機で運用開始。やれやれ今回もいつものドジが顔を出し始めたか。過去には撮影旅行で北海道に行くのにカメラを積み忘れたり、三脚に至っては何回も積み忘れてその都度やむなく現地調達したのに比べると良い方かと自分に言い聞かせCQを始めたのでした。(実はATQが大型の三脚を何本も持っているのはそのためなのです。)

 145.14で第一声でお声掛けして下さったのはJM7XKS岩手県下閉伊郡岩泉町の局。過去に北海道の天売島、伊豆新島、三陸沖/MMで3回繋がっている。こういう方と久し振りに交信出来るのが移動運用の醍醐味。岩泉町は透明度の高い水を満々と湛えた神秘的な地底湖で有名な日本有数の鍾乳洞“龍泉洞”が有る所。

またこの辺りはリアス式三陸海岸でも特に景色の良い名勝北山崎は日本一の海岸美を誇る由。(実は船内に貼ってあったJRのポスターの受け売りです。)でも龍泉洞も北山崎も過去に訪れたことの有るATQから見ても一度は行く価値が有るのは本当です。

 結局MM交信で繋がったのはこの1局だけと言う寂しさ。過去には一航海で40局余り交信出来たあの頃が懐かしいとは年寄りの繰り言でしょうか。でも船内で過去に7回も交信した青梅の7K4JPJ青柳さんにお会いしたり無線はやっていないが昨年同じ船に偶然乗り合わせた方に声を掛けられたり、やはり甲板上の大型三脚と八木アンテナはいやでも目立ってしまいますね。

 さていつもの通りの駄文が長くなって来ましたし、そろそろ津軽海峡の影響で船が少し揺れ始めて来ましたの第一報は終わりにしましょう。また各地の風物を織り交ぜて便りを送りますのでお暇な方は眼を通して下されば幸いです。

  東経141°52.332′北緯41°25.46′23knot

  ブルーハイウェーライン さんふらわーみと 下北半島沖/MM


2000.12.29

(第二報)
 
愉快な仲間の皆さん今晩は。
 20世紀最後の夜道東根室からATQ北海道便りをお届けします。

  備え有れば憂い無し

 12月29日(金)20:00定刻に苫小牧港に到着。先ず北海道に上陸して最初の仕事はガソリンスタンドで燃料を入れること。えっ!なぜ遠出するのに燃料を入れてこないのかって?。ATQのレポートにしばしば登場する“動くシャック”ことポンコツデリカはディーゼル車で当然軽油が燃料なのです。ところがこの軽油は-15℃位で凍結し厳寒の北海道では早朝エンジンが掛らなくなってしまうことが有るのです。

これを防ぐため特別の添加剤を入れた極寒冷地用の軽油が北海道のGSでは使われているのです。そのため12月になるとATQは車の燃料計を睨み丁度北海道に着いた時に燃料が空になるよう調整しながら燃料を補給するのです。ああーこの涙ぐましい努力を解ってもらえるかなあ・・

 それからついでにエンジンオイルも極寒冷地用に交換します。出来ればクーラント(ラジエター液)も濃いものに交換します。(-15℃までは東京と同じで大丈夫です。さあ!準備万端 北海道はでっかいどお!(すみませんコピーがちょっと古過ぎました。)

 車の北海道対策を済ませた後は市内のホテルへ直行。冬の北海道はとても夜間走行や車中泊する気にはならず、宿泊は仕方が無いが翌朝早着いた東京→釧路便(98/11廃止)の方が余程便利でした。

 やはりUVは閑古鳥

 ホテルの5階に落ち着けば早速窓枠にハンディロッドアンテナを取り付け地元局にATQ上陸宣言よろしく145FMでCQCQ。
 早速苫小牧のJJ8UGI神田さんよりお声掛け。昨年も同じ場所で声を掛けて頂き、2年連続ですねと話が弾んだのは言うまでも無い。
 ところが応答してくれたのはこの1局のみ。その後430でも全く音無し。ああーあの頃の賑わいは何処へいったのか

  伝説の日高路

 12月30日(土)まだ朝の暗い内から出発気温は-9℃。万全の準備でエンジンは問題なく始動。今日は一日道東に向って走るだけ。ルートは苫小牧より沿岸添いに進み門別町から平取町(びらとり)入る。平取は弁慶と伴に衣川の合戦で頼朝側に敗れ討死したはずの義経が実は蝦夷地に落ち延びたと言う義経渡来伝説とそれを祭る義経神社があるところ。またアイヌ独自の文化が伝わる二風谷(にぶたに)を守るためダム建設に反対し始めてアイヌ出身の国会議員が誕生した所。アイヌ文化に興味がある方は是非とも訪れてみて下さい。

  懐かしの十勝平野

 平取から日高町へ入り日勝峠越えれば眼下に雄大な十勝平野が広がる。

北海道一の穀倉地帯に入り清水町から芽室町を抜ければ程無く帯広市に到着。皆さん! 日本で初めてホワイトチョコレートを売り出した六花亭は帯広にあることは知ってましたか?。今から25年位前北海道入り浸りでユースホステルのヘルパーやっていた友人(勿論女の子ですよ)から貰った白いチョコレートの美味しかったこと。なぜ白いのにチョコレートの味がするのだろう?今から思えば懐かしい青春の一駒でした。(ナニ!ATQ

にもそんな時代が有ったのかって? ムフフフ…)帯広から東へ進めば愛国駅→幸福駅「愛の国から幸福へ」の切符で有名になった国鉄広尾線幸福駅(現在は廃線で幸福駅だけが残っています。)がある。西に進めば熱気球祭典バルーンフェステェバルが毎年8月に開かれる上士幌町へと続く。

  備え有っても憂い有り

 帯広市内で国道添いに有るオートバックスで前からゴムの劣化が気になっていたワイパーのスノーブレードを交換しようと物色したがなにせATQのデリカは11年前の旧式で合うものが無いので諦めよう。ところが燃料補給で立ち寄ったGSで念のため聞いてみると何とか合うものが有った。メデタシメデタシ。この他に気になっていることは雨漏りだけだ。(寄る年波に勝てない我デリカはサンルーフの隙間から雨漏りが烈しいのです。トホホホ情け無い。)当然北海道では雪が降る→積もった雪は融ければ水になる→水になれば車内は洪水だー。こうなりゃ恥も外聞もない。足寄の金物屋さんで買い求めた幅広のガムテープで外から厳重に目張りした。かくして我“動くシャック”は持ち主のATQ本人と同じで「決して上から見下ろしては行けません。」 よし!これで走行距離20万6千kmの愛車は目出度く21世紀に21万kmを達成できる。と思ったまでは良かったが帯広のGSで車を少し動かした時ガリッといやな音がした。慌ててGSの従業員と二人で車体のしたを見たが特に変わりはない。氷でも挟まったんでしょうと言う事なって出発したが後になって見ればこれがケチの付け始め。予定が大幅に狂うことになるとは……。

 ではこの続きは21世紀になってからの第3報で

それでは重ねて皆様良いお年を

2000.12.31 23:21

                  7L3ATQ 岡本 博


(第三報)

 愉快な仲間の皆さん明けましておめでとうございます。

 いよいよ21世紀の幕開けそれぞれに思いを新たに新しい年を迎えたことと思います。ATQも歳を重ねる毎に少しでも進歩し、ボケが来ないように頑張りたいと思います。

本年も旧年以上に色々な形でお付き合い頂ければ幸いです。

それではATQ北海道便り(第3報)をお届します。

  特上ワインにステーキはいかが?

帯広で更に車を整備して池田町→本別町→足寄町経由で今日の目的地阿寒湖畔へと向う。

池田町は十勝ワインの産地で町外れの小高い丘に町営のワイナリーのワイン城が燦然と聳える。ここには本格的なレストランがあり特大サーロインステーキはグルメ通の貴方もきっと満足することでしょう。

  日々是好日???

 今日はバードウォッチングも観光もしないただの移動日。

そんな日に限って朝から雲一つ無い快晴。かなり内陸部に入った本別町では昼過ぎにもかかわらず車外に付けた温度計は-12.8℃を示している。梢に纏った霧氷は太陽に輝き都会からの旅人を和ませる。

 程無く車は足寄町(あしょろ)に入る。足寄町は日本一の広さを誇る林業の町で松山千春の生家が有ることで有名。

ATQがSLの写真撮影に訪れていた昭和40年後半には国鉄池北線(現在は第3セクターふるさと銀河線)の足寄駅からさほど遠くない松山家の前には大きな駐車場ができ、大型の観光バスが立ち寄るほどの観光スポットであったが現在はそれほどでもないと聞く。

  悪夢の予感

 足寄の市街地を抜け暫く走ると前方に雄大な阿寒の山々が見えてくる。おりしも夕日に染まり始めた阿寒富士、微かに噴煙をたなびかせる雌阿寒岳、雄阿寒岳の白銀が眩しい。よしこれを撮らない手は無いとカメラマン根性がムクムクともたげ始めたATQは農家の作業小屋の空き地に車を止め愛用のパノラマカメラのシャッターを切る。

 撮影が終わり車を発進させようとするとタイヤがスリップしてスタート出来ない。おや?4輪駆動のデリカはこの位のアイスバーンでも楽に発進できるはずだとドアを開けて良く見れば前輪が回らず後輪だけスリップしている。

何回かギヤの入れ切れをしているうちに4輪が駆動し、とにかく走り出した。後で思えばこの時にもう少し事の重大さに気がつけば良かったのだが……。

  あれ! あれれれれ…・・!!

 足寄町から阿寒町に入る長い登り道に差し掛かり、阿寒湖畔まで16kmの峠の直前まで来た時突然車がスリップしコントロール出来なくなった。こんな時慌ててブレーキを掛けたりハンドルを切ると車体がスピンして危険なのでアクセルをから足を外しハンドルを軽く保持していると車は反対車線を通り越し路肩を乗り越えて吹きだまりの中へ突っ込み10m程走って漸く止まった。吃驚したのはATQ本人よりも後続車のドライバー、突然前の車が視界から消えたのだから。こちらは怪我も無くこれだけ使い込んであちこち傷だらけの車は多少凹もうが恐いものなしの状態。

とにかく自力脱出は不可能なのでレッカーを呼ぼうと携帯電話のスイッチを入れると余りにも山奥で冷たく圏外の表示。後続車のドライバーに阿寒湖畔の町まで連絡を頼んで滑った路面を調べてみるとブラックアイスバーン状態だが直線で4輪駆動でタイヤが新しければ特に問題は無かったはず。4輪駆動系は動作が不安定、タイヤも摩耗こそそれ程ではないが古くなってゴムが硬くなっている。

タイヤは前から気にはなっていたが昨年車ごと変えるつもりでいたのに例のリコール隠し騒ぎでモデルチェンジが遅れ延び延びになっていた。やはり安全には金を惜しんではいけませんね。反省!

 幸い山奥で対向車がいなかったのと雪が深くショックを和らげ、走行には全く支障がなかったので撮影&無線旅行が継続出来た。それでも峠越えは諦め元来た道を引き返し足寄町に泊まることにした。阿寒湖畔には毎年泊まる民宿が有り毎年顔を合わせる鹿撃ちの常連に会えるのを楽しみにしていたのに残念。まっ!とにかく怪我も無く無事に旅を続けられるのでメデタシメデタシと何事にも懲りない塀の隣の住人ATQは眠りにつくのでした。

 12月31日(日)20世紀最後の日は予定変更で足寄町→本別町→白糠町と進む。朝から思ったより暖かく雪は降っているが気温は+。4輪駆動が不安定なので最高速度は60kmに押さえる。ところがこの60kmは北海道では極端に遅すぎたちまち数珠繋ぎの綱引状態。大体雪道でも80~90kmでどの車も走っている。こんな訳で北海道では平均時速50kmで計算すれば所要時間が読めるのだがこれからは35km平均でしか走れない。まあ急がば廻れを地で行くしかないか。幸い昼前から気温は4℃と上がり雨で路面の雪は完全に消えている。バードウォッチングも諦め根室の宿に早目に着いて北海道便りを送ることにしよう。

 と言う訳で21世紀になったにもかかわらず内容は去年の分まででゴメンナサイ!

 新しい年の旅行記は引き続き第4報でお知らせします。

2001.1.2 07:30

                  7L3ATQ 岡本 博


(第四報) タンチョウの話

 愉快な仲間の皆さん今晩は。ATQの北海道旅行はいつもと一寸変って“危ない珍道中”になって来ましたが本人は到って元気ですのでもうしばらくお付き合いお願い致します。

 

  単調な話では有りませんタンチョウの話です

 バードウォッチングの旅のはずが車のトラブルの話ばかりなので、この辺で名誉挽回のためタンチョウの話を書きます。

江戸時代には関東地方でも沢山見られたタンチョウ(丹頂鶴のことですが正式な和名はカタカナでタンチョウです。)は乱獲が祟り一時は33羽まで減り絶滅寸前まで追い込まれたのです。

 戦後保護活動が本格的に行われ現在700羽、位まで回復しています。(正確な数は手元に資料が有りませんので書けませんが毎年日本野鳥の会の主催で地元の小、中学生の協力により一斉調査が行われ公式数が発表になります。尚ささやかですがATQはタンチョウ保護活動のお手伝いをしています。)

 春から秋にかけては釧路周辺の湿原で番(つがい)単位で縄張りもち繁殖していますが冬期は殆どが釧路周辺の3ヶ所の給餌場に集まり観光客やカメラマンにも簡単に優雅な姿を見せてくれます。(①阿寒町立タンチョウ観察センター、②鶴居村日本野鳥の会伊藤サンクチュアリ、③鶴居村鶴見台(添付の写真)この他に釧路空港近くにタンチョウの里があり、通年観察でき人工繁殖させています。)この3ヶ所で有名な鶴の一声(実際には一声ではありませんが)、求愛ダンス等優雅な姿が真近に見られますので一度は訪れることをお勧めします。
tsuro

  残念!21世紀で一番早い初日の出は・・

 2001年1月1日(月)朝暗い内に目がさめれば外は一面の霧。道東のこの時期にしては異常に暖かい+4℃の気温で海上に発生した濃霧で勿論初日の出は見られない。ここ根室のノサップ岬は日本で一番早く日の出が見えるところ。道内はもとより本州からも大勢の観光客が訪れるばかりかNHK始めTV局の取材陣もてぐすね引いて待っている。その上何故か大勢の暴走族の若者達も集まる。(初日の出に祈る敬虔な心に最も縁が無い様に見えるが何かに頼りたい願望が有るのだろうか?)

 大勢の期待を裏切った元旦であったが反って静かに明けた良い正月になった様な気がするのはATQだけだろうか。

  2000年アマチュア無線総決算

 年が改まったのでハムログで2000年の交信数をチェックしてみると延べ4805交信、2832局。一応年の始めに立てた目標のミレニアムアワードは達成することが出来た。交信して下さった方、お声掛けしてして下さったにもかかわらず取り上げることが出来なかった方等大勢のハム仲間に支えられて豊かな趣味を続けられたことを改めて感謝いたします。

 本年も昨年以上のお付き合い宜しくお願いいたします。

 ところでアワード申請の締め切りはいつでしたっけ?。

  バードウォッチングは絶不調

 根室の定宿で早めの朝食を済ませ探鳥ポイント春国岱へ移動。

ところが生憎の霧とおまけにこの時期にこの場所では珍しく雨が降ってきた。いたって軟弱なバーダーATQは直ぐに諦めハムに変身する。その間にも駐車場には栃木ナンバー等の本州から遠来の車が到着し防寒着に双眼鏡のいでたちで次々と観察路へ向う。(後で聞いてみると殆どめぼしい鳥は見られなかったとのことやはりここに20回位来ているATQの読みは正しかった。)

  21世紀は21MHzで幕開け

 何事にも拘るATQは21世紀は21MHzで始めようと心に決めていた。早速リグのスイッチを入れると21.26で南大東島移動のJI3DST舟木さんがDX向けペディションサービスでCQを出している。しばらく聞いていたが応答局が無いので「こちら7L3ATQ/8国内局ですが宜しいですか?」とお声掛けすると早速「どうぞ」と返事があり7:14 57-54で交信成立。21世紀初交信の旨を伝えると「こちらもDXのUTCではまだ2000年なので岡本さんが21世紀初交信ですよ」との話。うん幸先の良いスタートだ。今年は良いことが有るぞー!。次はJN6EZN/6鹿児島県伊都郡菱刈町移動の局だ。菱刈町といえば世界最高の品位を誇る金鉱山の有る所だ。シメシメ今年は金運にも恵まれそうだ(えっ?金は殆ど日銀の地下倉庫に納まりお前には関係無いだろうって。ごもっとも。)その後ATQと同じことを考えている局が多いのか立て続けに23局と交信でき早速JARLの21世紀アワード“21C21M21”特記(21世紀21MHz21局)を申請しようっと。

  バードウォッチングの成果は?

 21M交信の後は次の観察ポイント根室の花咲港へ。お目当てはコオリガモ、クロガモ等冬鳥としてシベリヤから渡って来る海ガモ類。静かに岸壁に近づけばいるいる今年も愛敬のあるコオリガモのペア、真っ黒な身体に黄色い嘴が鮮やかなクロガモが。久し振りにバーダーに戻ったATQはここぞとシャッターを押したのでした。その後走古丹、尾岱沼(添付の写真:オオハクチョウ)と廻り今夜の宿は尾岱沼の温泉に落ち着いたのでした。(勿論温泉大好きATQ予定の行動です。)

 見られた鳥

クロガモ、コオリガモ、マガモ、オナガガモ、ウミアイサ、

セグロカモメ、オオセグロカモメ、ウミネコ、タンチョウ、

オオハクチョウ、トビ、オオワシ、etc.
hakucyou

 

2001.1.3 16:23

                  7L3ATQ 岡本 博

(第五報)ATQは渡り鳥の巻き

 愉快な仲間の皆さん今晩は。ATQ北海道便りも回を重ねそろそろ「しつこいぞ!」の声が聞えてきそうな気がします。がそこは何事にもめげないATQの本領を発揮してもう一頑張りします。しばしお付き合いお願い致します。

  一日遅れの初日の出??

 1月2日(火)6:29尾岱沼(おたいとう)で日の出を迎える。たった1日遅れただけで初日の出の栄光は無く待ちわびる人も居ない。ここ尾岱沼では海上の水蒸気で光りが屈折し有名な四角い太陽が見られる。但し実際に目にするのはまれに見る強運の持ち主かしぶとく通いつめる根気の持ち主のみである。十数回訪れた並みの人ATQは勿論この僥倖に巡り合っていない。我こそはと思わん人は是非お試しあれ。

  新年無線饗宴会? ん!何のこっちゃ??

そうです1月2日といえばアマチュア無線家にとって年の始めを飾る一大イベントニューイヤーQSOパーティーの幕明けです。毎年この期間だけしか無線をやらないというハムもかなりいる。

開局して7回目のQSOパーティーを迎えたATQもこの日は鳥見を中断してロケーションの良い所へ向う。ここ道東では美幌峠(網走郡美幌町-川上郡弟子屈町:てしかが町)、摩周第一展望台(弟子屈町)、開陽台(標津郡中標津町:なかしべつ町)がポピュラーなポイントで、車でそのまま運用できる。このうち最も近い開陽台は飛びがイマイチなので摩周第一展望台へと向う。ルートは別海町→標津町→中標津町→弟子屈町で約80km。弟子屈町市街地から展望台に登る登山道はアイスバーン状態で4輪駆動が故障した“動くシャック”でどうしてもあと5kmの地点で登坂不可能で敢え無く立ち往生。しかしここで引き下がっては“何事にもめげないATQ“名がの廃る。念のため用意して来たチェーンを後輪に巻いてそろそろと走り、漸く目的地に辿り着いた。ウーン 我乍ら良くやるよ!。

それにしても本業?の撮影日は悪天候で移動日が雲一つない快晴とは余程日頃の行いが悪いのか。

  ATQは渡り鳥??

 摩周第一展望台は北海道有数の観光地“神秘の湖:霧の摩周湖”西側の崖上にあり濃紺色の湖水に映える白壁の外輪山が美しい。観光はこのくらいにして早速GPをルーフキャリアーに立て、145.16をチェックしてCQを始める。

呼び出し周波数へ行かず「CQ CQ こちら7L3ATQ/8 QSOパーティー参加の方宜しくお願いします。」と一声だすと直ぐに「JG8LKD根室です岡本さん今年も来ましたね」と声が掛った。根室市の垂井さん5回め交信だ

そのあとも続けて3局釧路市、北見市から5回目の交信局が続く。曰く「この時期になると岡本さんは必ず来るので待ってました」「寒くなって来たのでそろそろ現れるころだと思っていました」などなど。これではATQは冬になるとシベリヤから渡ってくる渡り鳥の仲間にされてしまいそうです。

 その後も途切れなくお声掛けが続いた。中でもJG8RYZ厚岸郡浜中町の梅原さんは6年連続でQSOパーティーで繋がった。ただただ感謝あるのみ。こうなると冬の北海道探訪簡単には止めるわけには行きませんね。

 結局44局と交信し始めての方は15局だけ。おなじみ局が多いことを喜ぶべきか、新しい局が増えないことを悲しむべきか、一寸複雑な心境のATQなのでした。

  さあー いよいよ知床だ

 QSOパーティーも無事終わりいよいよオオワシ、オジロワシの待つ知床の羅臼へ向う。標津町まで元来た道を引き返し標津からは海岸沿いに北上する。標津町にはサーモンパークがあり鮭の博物館としては日本唯一で世界中の鮭鱒に関する展示物は他の水族館の追随を許さない。(誰です!酒の博物館なら興味があるんだけど・・と言っているのは?)

 また標津町の忠類川は産卵のため遡上する鮭をスポーツフィッシングとして釣ることを試行している河川である。

腕に覚えの有る貴方、そろそろバス釣りに飽きてきたアナタ挑戦してみては如何ですか。

 羅臼峠を越えいよいよ漁業の町羅臼が近づく。羅臼は良質の温泉が豊富に湧き、夏には知床観光の基地として大勢の観光客やライダーが訪れる。なかでも羅臼川沿いの熊の湯は野趣に富んだ露天風呂で有名旅館の露天風呂とは一味違った体験となること請け合いである。

  ええー! 無断で休まないでよ!!

 羅臼の町を抜け3km程知床峠方面に進めばATQの定宿の灯りが見えてくるはず。あれ何だか変だぞ駐車場の目印の緑色の電球がついていない。近づいて確認すればやはり玄関にも灯りがついていない。冬の道東どこも飛込みで泊まれるので予約しないで来たATQが悪いのだが…。とにかく隣のホテルに落ち着きどっぷりと温泉に浸かってほっとした無類の温泉大好き人間ATQでした。

  うーーん天にも見離された

 1月3日(水)目が覚めて窓の外を見れば烈しい風で雪が横から吹き付ける地吹雪状態。これでは早朝から出掛けても探鳥どころではない。まして撮影などは無理な話。それでは北海道便りの続きでも書くか。と言う訳で10時のチェックアウトまでねばったが吹雪きは収まらない。それでは昨日の続きで21MHzでQSOパーティーをやろう。羅臼町にある道の駅でお声掛けから始め6,5,4,3,2エリアと順調に繋がる。やはり21世紀を意識しているATQと同好の志が多いのかいつもの年より21MHzは賑やかである。流石にスキップで近くのエリアは繋がらなかったが結局31局と交信し、目出度くQSOパーティーは終了した。

  ATQは準北海道局

 QSOパーティーの後は7MHz覗いてみよう。7.0385は北海道各局がいつもローカルラグチュウしている周波数。今日のセンター局はJJ8ELS紋別市のYLさんだ。勿論3回交信したことが有る局で早速ブレークを入れる。「7L3ATQ岡本さんがまた北海道に来てますよ

御挨拶される方お声掛けして下さい」と紹介され11局新年の御挨拶。殆どATQの北海道内移動で2mFMと他の島移動で7MHzの2バンドで繋がったことがある方ばかり。準北海道局扱いに感涙にむせぶATQはまたまた北海道へ来ようと密に心に決めたのでした。ホントカナー?。

  撮影はお預け

 結局無線が終わった14時過ぎになっても天候は回復せず、このまま移動すればメーンイヴェントの無い撮影旅行になってしまう。そんなことは「ワシ(鷲)が許さない!」

と言うことで羅臼に連泊することにしたATQは今度こそいつもの宿に向ったのでした。

2001.1.4 23:32

                  7L3ATQ 岡本 博

(第六報)知床の巻き  

 愉快な仲間の皆さん今晩は。いよいよ今日は北海道最後の夜。
ATQ北海道便りは回を重ねて第6報になりました。呆れるず、当てにせず、諦めずお付き合い頂き本当に有り難うございます。

  脅威の温泉パワー??

 1月4日(木)羅臼の宿で夜明前に目を覚まし、恐る恐る窓の外を見れば雪が降っていない。いよいよ前日お預けを食ったワシとの御対面だ。よし!飛び起きて温泉に入ろう!! 

ン? なぜここに温泉が出で来るのだ??と思う方はATQとあまりお付き合いの無い人。そうです。夜明前から動き出し、無線に、撮影に、運転にと一日中動き廻り、その日の交信のQSLは必ずその日の内に書き、加えて移動レポートまで書くその超人的エネルギーの源こそこの温泉パワーなのです。

 ナニ? そんなに効果が有るのなら会社に出勤する日には必ず温泉に入って来いだって? ハハー ごもっとも 失礼しました。

  知床は地の果て

 温泉から羅臼の町を抜け知床岬の方へ向い直ぐ右側に有るのが知床旅情の歌の記念碑(銅像)があるしおかぜ公園。そう言えば一世を風靡したこの歌も最近は余り聞かなくなりましたね。

 更に2km程進んだ左側の洞窟の中に有るのがヒカリゴケ。盗掘を防ぐ鉄格子はまるで岩窟王の牢獄を思わせ物々しい。ヒカリゴケと言えば戦時中、知床岬近くのペキンノ鼻で実際に起きた遭難船員による人肉食事件をテーマにした武田泰淳の戯曲ひかり苔を思い出す。

 羅臼から16km先の相泊(あいどまり)までで道は行き止まり。その先に所々に鮭の番屋があり、ここは船だけが頼りの正真正銘の陸の孤島。知床はアイヌ語で地の果ての意味であるが文字通り、一般人は訪れる術が無く観光船で海上から眺めるしかない。

  オジロワシは知床の象徴

 道路の直ぐ右側は海、シノリガモ、ウミウやオオセグロカモメが戯れる。更に沖合いを眺めれば国後島が雄大な姿を横たえる。

国後島にはソ連領なるが故に北海道にも無い本当の自然が残ると言う。ATQは根室や北海道の人々と伴に真剣に日本領になることを望むが、反面自然保護を考えると今のままの方が良いと複雑な心境にならざるを得ない。

 反対側は切立った崖になり、潅木の梢には冬の使者オジロワシが眼光鋭く周囲を睥睨する。カメラマン根性が剥き出しになって来たATQは早速600mmのレンズを取り出し息を止め静かにシャッターを切る。更に車を進めれば肩に白い布を纏ったオオワシの登場だ。しかし何回来てもその勇姿の一部しか捉えることが出来ない未熟なカメラマンATQは今度こそ、今度こそと知床を度々訪れる。

 オジロ、オオワシと言えば昨今鹿猟に使われていた鉛弾による中毒死が大きな問題となっている。このワシ類は元々スケトウダラ等の魚を主食としているが、最近鹿猟で回収されず山中に放置された死肉と一緒に猟銃の鉛を食べ斃死するケースが増えている。

今年から鉛弾は禁止され銅が使用され始めたが既に一個体の鉛中毒死が報告されている。増えすぎて食害が増加し問題になっている鹿を適量に保持するためにも鹿猟は必要であるが、仕留めた獲物を100%回収する等のハンターのマナー向上を真剣に望む。

  またまたチェーンのお世話に とほほほ…

 撮影の後は根北峠を越えてオホーツク海側へ向う。夏季には展望が良く移動運用のポイントである知床峠を声50分位で宇登呂に行けるのだが今は熊の湯で通行止めになっている。

 2輪駆動の普通の乗用車になったデリカは根北峠の登り坂を越えられずチェーンを巻くはめに。スタッドレスタイヤが普及した現在北海道ではチェーンをつけた車は除雪用大型車のみである。

やれやれ念の為持ってきたゴムチェーンがこんなに役に立つとは。

  厳冬に生きる鳥達も必死ですね 

 峠を越えれば斜里町に入る。ここから稚内近くまでオホーツク海沿岸は豊富な砂丘と原生花園が続く。勿論厳冬の時期には花は無く流氷にはまだ早い今の時期は荒涼とした海岸線に海鳥が舞うのみである。小清水町のトーフツ湖にはハクチョウ観察センターがあり、オオハクチョウに餌を与える幼児の姿が微笑ましい。

 いたずらっ子を思わせる表情のホオジロガモやマガモ、オナガガモと与えられたパン屑を奪い合うオオハクチョウに貴婦人の優雅さは無く、厳冬に生きる生き物の厳しさを垣間見せる。

 北浜を過ぎれば早くも網走市に入り鱒浦海岸と続く。一月末に訪れる流氷の時期にはこの辺り海岸にもアザラシが愛敬のある姿を見せる。

  網走番外地は観光のメッカ

 網走駅を過ぎれば5分ほどで映画でおなじみの網走番外地:網走刑務所へ渡る橋が見えてくる。夏には刑務所の門の前で記念写真を撮るカップルが多いが、同じ刑務所でもATQの職場の隣にある府中刑務所とは余りに雰囲気が違う。刑務所の中の様子は誰しも興味があるようで3kmほど離れた天都山山麓にある網走監獄博物館は観光客が絶えることが無い。網走と府中は吉村 昭の小説“破獄”に登場し、どちらにも縁のあるATQは因縁を感じる。(えっ!ATQは入っていたことがあるのだろうって?いえいえお隣さんは時々上から覗き込んで中の様子は塀の外からしか見たことの無い一般の方より詳しく知っているのです。)

 天都山の頂上にはオホーツク流氷館があり夏季にも-20℃の厳寒と流氷の実物を見せてくれる。更にNHKの中継所があり無線のロケーション良くATQもしばしばCQを出したことが有る。

 今夜の宿は網走湖湖畔の小高い丘上にあるかんぽの宿にしよう。

この安い料金で設備の良いかんぽの宿は全国にありこれを利用するためにATQはわざわざ簡易保険に加入したのである。

2001.1.7 11:32

                  7L3ATQ 岡本 博


(第七報)皆さん有難うの巻き(最終回)

 愉快な仲間の皆さん今晩は。長らくお付き合い頂きましたATQ北海道便り今回で最終報になります。岡村さんのH/Pに掲載されるころはもう松の内も明け各局ともお仕事に励まれていることと思います。今更の感が有りますがもう一度だけ楽しかった正月の余韻と言うことでお許し願います。

  あーあー またもUVは全滅

 1月5日(金)網走の宿を出ればバードウォッチンはほぼ終わり、フェリーの出発港苫小牧までの長距離ドライブとなる。待てよ暮れに立ち寄った鶴居村の伊東サンクチュアリのレンジャー原田さんとは既に正月休みになったためご挨拶していない。それではちょっと立ち寄ってタンチョウの最新情報を仕入れていこう。と言う訳でルートは網走市→女満別町(めまんべつ)→美幌町→弟子屈町となる。

 途中の美幌峠は眼下に屈斜路湖を見下ろす絶景で道東でも有数な所。勿論無線のロケーションでも言う事は無く移動運用の名所の一つである。帰りがけの駄賃??一つCQでも出して見よう。当然北海道で最も多い145FMで始める。ところが何回も呼び出し周波数で怒鳴っても全くお声掛けが無い。ニュウイヤーQSOパーティーではかなりの局が出ていたのに……。本当にアマチュア無線の将来どうなっちゃうのだろうと心配になるのはATQだけではあるまい。益々JN1YUUの乙女達が唯一希望の天使に見えてくる。

 

  道の駅運用は相変わらず賑やかです

 美幌峠での運用は早々に諦め弟子屈町にある摩周温泉道の駅へ向う。ここはトイレと飲み物の自販機と観光案内所だけの日本一小さな道の駅である。案内所のカウンターの中で無聊を紛らすため、レース編の鉤針を動かすことに余念のない地元のおばさんと思しき女性が妙にこの雰囲気に融け込んでいる。

 早速駐車場で7MHZの道の駅サービスを始める。ところが立続けて17局と交信したところで妨害電波が入り継続不能となる。心ないハムもいるものだ。妨害電波として音楽や公共放送を流す事は電波法の他に明らかに著作権法や放送法違反である。当局の厳然とした取り締まりを望むのは電波管理料を収めている真っ当なアマチュア無線家としては当然の権利であろう。

  タンチョウの棲息数は719羽

 無線の後は鶴居村の伊藤サンクチュアリに寄り原田さんと一年振りの再会となる。伊藤サンクチュアリは昨年亡くなった伊藤良孝さんが絶滅寸前であったタンチョウの保護のため自分の畑にトウモロコシ等の農作物を撒き給餌していた所に日本野鳥の会が作った観察、保護の拠点である。しばし歓談してタンチョウの様子を教えて頂く。

その中で過去の一斉調査での棲息数は719羽であること。今年は幼鳥が30羽近くいて順調に育っていること等のお話を頂いた。

  さあーいよいよ帰り道だ

 ここでバードウォッチング&撮影プログラムは終わり後は走行中に時折上空をよぎる猛禽類やカモメの仲間を瞬時に識別するばかり。
これからはひたすら路面の状況を眺めながら慎重に車を進めるドライバーの顔に変身するATQなのでした。

 今日の宿は長距離移動で無理すること無く辿り着ける十勝川温泉のかんぽの宿に決めよう。鶴居村→釧路市→白糠町→音別町→浦幌町→豊頃町→幕別町と車を進め音更町のかんぽの宿に17:30に到着。いつもの通り温泉に浸り一日の疲れを癒すATQには6800円の低料金でそれなりの料理が反って嬉しい。(10日もホテル、旅館を渡り歩くと豪華料理が帰って疎ましい。それならば残せば良いのだが貧乏育ちのATQは悔しくてそれが出来ない。そこで正月明けはGOT、GPTが大いに気になる事になる・・何の事か良く判る貴方は同じ悩みをお持ちとお見受けしましたが合ってましたか??)

  旅の夜は無線に限る

 夕食の後は定番の無線運用。窓枠にクリップでハンディロッドアンテナを取り付け145FMで早速CQを始める。最初の声を掛けてくれたのはJR8JIV帯広市の局だ。珍しく始めての局である。

次からは複数交信局が5局続く。どうやらいつものペースになって来た。JG8CWP帯広市の柴田さんは3バンド6回目、JJ8AJ新得町の伊原さんはなんと7年振りの交信だ。最後に地元音更町のJK8OXY局と交信しQRT。明日は前日の網走に届いた岡村さんからのメッセージに応えYVT各局と交信することにしよう。

  無線機のパネルも凍る寒さ哉

 1月6日(土)十勝川温泉でいつもの朝風呂から出て約束通り7時過ぎに車に荷物を積み込んで車外にセンサーを付けた温度計を見ると何と-18.6℃を指している。朝風呂で使った濡れタオルが建物と駐車場の僅か100mの間にバリバリに凍るのも無理はない。

 やはりオイルも交換してしておいて良かった。この温度では内地のオイルでは絶対にエンジンは懸からない。「備え有れば憂い無し」案じていたより簡単にエンジンが掛り無線機のスイッチをいれる。

ところがこの低温では無線機の液晶パネルがところどころ表示せずやけに見にくい。おまけに潤滑油の硬くなったダイヤルはスムーズに回らずチューとニングするのももどかしい。ようやく決めてあった

7.060付近でCQCQと呼び出しているJF1RWZ岡村さんの声が聞えた。すぐに「JF1RWZ岡村さんこちら7L3ATQ/8 河東郡音更町 岡本です」と声を掛けるが聞えないらしく又CQCQが始る。何回か呼んでも同じ事の繰り返しで雑音が多く、周波数が本当に合っているのか確認する事も出来ない。仕方ない奥の手を使おう。と言う訳でまたまたドコモさんの御登場。困った時の携帯頼みとは情けない話だが背に腹は換えられない。周波数を確認して調整し、岡村さんにビームを合わせてもらいやっとのことで交信成立。47-48のリポート交換はモービルホイップでは上出来か、さりとてこの寒さでは如何に寒さに強いATQでもZeppを張る元気は無い。続いてJH1MKU早武さんとも37-43でかろうじて交信成立。めでたしめでたし今回の旅行で始めてYVT各局と繋がった。いつも声を掛けて下さるJA1ZI小池さん、JR1MXX高橋さんやJA1LHH古澤さんと繋がらなかったのはこのコンデションでは仕方が無いか。

  7MHzサービスは大変だあー

 この後朝食を済ませて出発間際にいつもの7MHzグループに音更町をサービスしてから苫小牧へと向う。

 ルートは音更町→帯広市→芽室町→清水町→日高町と進む。清水町を過ぎれば峠越えの坂とカーブが続く日勝峠へと向う。ここは狩勝峠と並んで車窓から見た風景が雄大なことで有名であるが車が不調のATQに眺望を楽しむ余裕は無い。何回大型トラックにせっつかれてもひたすら50kmの定速運転に努める。漸く難所を越えた日高町には道の駅がありここでも7MHzで道の駅サービスをする。

7MHzは短時間で多くの局と効率良く交信できる魅力ある周波数だがQSLカードの発行を全て手書きで行うATQにとっては嬉しい悲鳴といった反面も無いことはない。

 日高町から往路をそのまま戻れば約1.5時間で苫小牧市に到着し北海道内の走行は完了する。

  最後の夜も北海道便り

 市内のホテルに落ち着けば早速北海道便りの続きを書くATQ。

思えば鬼編集長の岡村さんの矢の催促が恐くて大晦日の夜も楽しみにしていた紅白歌合戦も見ずひたすら書き続けたっけ。(これは嘘です。自然派のATQには紅白歌合戦を見る習性は有りません。)

  捲土重来

 今回の旅は思わぬ車のアクシデントで走行距離も何時もの2/3位程度。天候も移動日だけ良く肝心の撮影日には荒れると言う最悪のパターンでフィルムの使用量は僅か2本。毎回15~20本消費するのに比べれば見る影も無い。またのチャンスに期待を膨らませるATQは性懲りもなく北海道へ向うことでしょう。

  

 まてば海路の日和かな

1月7日(日)フェリー出航の朝は抜けるような青空、白銀に輝く樽前山や恵庭岳が美しい。9:50定刻に苫小牧港を出港した船はこの時期にしては珍しくベタ凪の津軽海峡から三陸沖へと向う。

 余り好調とは言えない北海道旅行ではあったが無線だけは約230局と交信でき良い年のスタートになった。交信して下さった各局大変有り難う御座いました。

 7回に渡る北海道便りに最後までお付き合い頂いた愉快な仲間の皆さん。ホームページにリアルタイムで掲載して頂いた岡村さん。本当に有り難う御座いました。機会があれば皆様とまたお会いしましょう。

 東経142°04.477″北緯40°04.421″三陸沖

 ブルーハイウェーライン フェリー さんふらわーえりも/MM

                     25.4knot

 

               7L3ATQ  岡本 博

2001.1.7 19:26

73 

 

<< 前のページに戻る