YVT高山村移動運用

第1章 移動用HB9CV 

山岳移動をされている方のホームページで移動用に工夫されたポールや分解式のアンテナの制作記事を見つけた。同軸ケーブルで位相給電する方式のHB9CVが掲載されており、この方式ではショートバーを使わずとも、同軸の長さをある長さにして給電することにより50Ωにマッチングできるとの事である。

9月のある日曜日、近くのホームセンターにて材料を購入し半信半疑でアンテナを作成、簡単な構造なので一日で制作は終わった。

調整は前後のエレメントをそれぞれ設計値より3cmのばした所で50.200MHzにてSWRが1.1となりFB比もそれなりに出ている。

このアンテナを作ってから毎週土曜日に自宅を中心として車で30分以内で行ける場所に移動し、平地移動を楽しんでいる。

高い山に登ればダイポールでも十分楽しめるが、2エレのシンプルなビームアンテナでも精々海抜10mの江戸川や利根川の土手からQSBを伴いながらも横浜や八王子の局と交信が出来る。また2エリアや0,7エリアからも声がかかり、Eスポ出ていないのになぜ!と不思議に思う。も

9月23日は河川敷でもない平地(水海道市 あすなろの里駐車場)でCQを出しているとノイズスレスレで呼んでくる局がいた。式根島移動のJL1OVB国原さんだった。平地に建てた4.5mポール上の2エレHB9CVから出た電波が、どうやって都心の高いビルを飛びぬけ海の向こうの式根島まで届くのだろうかと不思議に思う。

第2章 松之沢峠 

今日は楽しみにしていたJA1YVTクラブの秋の移動である。1ケ月前のミーティングで星野さん小池さんの7M組みの移動予定を聞いていたが、私は榛名山へ登ってこのアンテナで6mをやってみる事にした。

朝4時30分に我が家を出発。暗闇の中16号線をひとまず西へと走る。5時に大宮を通過、交通量はかなり多い。5時30分川越インターから関越自動車道に乗った。

途中道路工事で1車線になる所があり約30分のろのろ運転があったが、7時30分には榛名山の松之沢峠に到着した。

バソコンの鳥瞰図シミュレーションソフト(カシミール)で見た通りの展望であり、薄もやの中関東平野が見えているが、埼玉方面に直線見通しで開けているはずだ。

自作のHB9CVを4.5mのポールにセットし発々を回し車のエンジンを止めた。

朝早いので6mバンドはシーンとしていた。心配しながらCQを出したが、7時55分JK1OLP前橋市の當銀さんから声が掛りほっとした。11時34分まで69局と交信。途中メールで案内を送っておいたJA1BUQ力石OMからもお声がけ頂いた。

Eスポが発生したのかJA8HI北海道江別市から声が掛る。11時ジャストに50.550のAMにてCQを出したが、QSYのアナウンスを聞いた局1局のみとの交信であった。土曜日の昼間50MのAMをワッチしている人はいないようだ。

11時40分箕郷町を撤収し子持村に向かった。

第3章 おばさんのクレーム

子持村村営の運動公園があり高台の駐車場へ車を止めたが風が強い。

少年野球の応援に来ている人達を横目に、強風の中7Mのダイポールを設営した。7Mをワッチ、空き周波数を探していると、40代の小柄なおばさんが来て、「この線」(アンテナ)を指差して、「はったのはお宅ですか?」とクレームがあった。

話しを聞いてみると車のドアに傷が付いている。「さっきまでは付いてなかったのであなたが付けたのでしょう!」とのクレームだ。

私ではないと言い張り20分ほど言い合ったが、おばさんは「もう良いです」と言って諦めて帰って行った。強風の中他人の車を跨いでアンテナを張った事を反省。以後気を付けよう。

このトラブル対応でCQを出す気力がなくなり、さっきのおばさんが気が変って戻ってくる恐れもあったので撤収し早目に宿へ向かうことにした。

第4章・仲間発見

宿となる高山村の国民宿舎の手前に天文台があった。き○○いと煙りの仲間であることを自覚し、高所にある天文台へ行ってみようと右折、しばらく坂道を登っていくと右側に広い空き地がありアンテナ群の下に仲間がいた。

手前の折畳式テープルにKJV星川さんがマイクを握り締め18Mで交信中だ、その横の車の中にMKU早武さん、釣竿利用のロータリダイポールが上がっていたが、これは波照間バージョンとの事だ。

奥の折畳式テーブルにはRJQ大江会長もマイクを持ち7MでQSO中だった。海外から輸入したG5RVが上がっていた。

その横の車の中はMXX高橋さんだ。高橋さんは、ワインレッドの車にアストラルプレーンで見慣れていたので白いローレルはオーナーの顔を見るまで誰の車が分からない。見慣れるまでもう少し時間がかかりそうだ。 私はその奥に陣取り6mのHB9CVを上げた。2時30分を回っており2局との交信で終わった。

プップッと警笛を鳴らしながら貫禄のある車が入ってきた。木村さん星野さん組だ。空き地の第一キャンプKJV,MKU組の場所でしばらくアイボールQSO、時間となったので撤収し宿へ向かった。

第5章・温泉と大宴会

まずは畳の部屋へ全員集合しビールで乾杯!

一息ついてさっそく温泉へ、少しぬるめではあるがゆっくりとはいれる温泉だ。温泉の効能書を探したが、何処にも張ってなかった。本当に温泉なのであろうか。

温泉から上り星野OM、木村さん、小池さんと酒盛りを始めたが、窓の外が騒がしい。上の階では18Mのアンテナ設営が始まっていた。

道路をクロスするのに電線が邪魔でうまく張れない。「紐の先に石を括り付けて投げると良いヨ」とアドバイス、観衆が見守る中無事設営が終わった。

そうこうしている内に宴会が始まる。宴会会場に入ると、「エエッ!」豪華な食事だ。誰かが「コース間違えたのでないの?」国原さんが困った顔をして「そんなはずないのに、、、」大満足の料理でした。

ゲスト参加の山口さんは渋滞に巻き込まれ1局も交信していないとの事、首都高までに時間が掛ったとの事だが「朝早く出るしかありませんネ」と話しをした。

二次会は再度和室で始まったが、0次回から日本酒を飲んだので岡村は早々のダウン。後で聞くと天体観測の野外活動があったとか、参加できず残念。

第6章 二日目の朝

星野OM,木村さん、小池さん、岡本さんが朝飯前の運用に出ていく。いつものYVT移動光景だ。

二日酔いではなかったが、飲みすぎには朝風呂が一番と、皆が帰ってくるまでの一時ゆっくりと温泉につかる。

朝食には子持ち牧場の名産として牛乳が出され、新鮮な冷たい牛乳が体内に染み渡りこれは美味い。

朝食の後は記念撮影である。昨年の記念撮影の写真で高橋さんがカレンダーを作ってくれた。我が家ではこれをトイレに張ってあり、毎日仲間と対面している。

私の家族は仲間の顔を全員知っている。このほど会社を卒業した人はこの人。波照間行った人はこの人と全員面が割れているのだ。

年が明ければカレンター交換になるが、高橋さんに来年のカレンダーを作ってネとお願いしてしまった。

第7章 VKとの交信

記念撮影か終わり、「さて何処へ行こうか!」宿となった国民宿舎の前に広大な牧場が広がっている。

あれは牛だよと宿の人に教えてもって分かったのだが、肉眼ではごま粒位に見えていて判定がつかない。

牧場の先に見えているのが小野子山だ、山の中腹を横一線に道が通っているのが見えていた。

「あの山へ行ってみようヨ」!岡本さん国原さん組みを先頭に早武さん星川さん組、高橋さん大江さん組、岡村と車が走った。

キャンプ場の駐車場を通り越して小野子山の南面のちょっとした駐車場に一時停止し、早武さんにその先へ偵察に行ってもらった。

2mにて状況が伝わってきた。この先に東屋とちょっとした展望台があり、数人で運用するのに丁度良い場所があるとの事、その場所にて運用する事にした。

展望台は8畳ほどの広さで天井は付いていない。VUのアンテナ設営には好都合だ。さっそく設営を開始。

移動用に設計したHB9CVは5分で設置完了し、さっそくCQを出し始めた。

海抜は700m程度あるが関東平野方面へ対して山が回り込んでおり直線見通し伝搬は期待できない。

山が切れ込んでいる方向の赤城山と榛名山の間を電波が通るようにアンテナを向けた。

何時もお世話になっている江戸川区のJI1EQQまきのさん等声をかけて頂いたが、CQの空振りも多く22局と交信。

後半は星川さんとオペレータを交代し暫らく運用して頂いた。そろそろ撤収しようと思ってダイヤルをぐるぐる回しているとVK4TVIが59で聞こえてきた。星川さんが空かさずコールすると一発でコールバックがあった。では順番に声をかけようと待っていると、「アラスカステーションが何とかでQRT」とか言って引っ込んでしまった。残念。

第8章 チャーシュウ2枚の差

帰りは道路混雑が予想されたので12時30分に撤収し高山村を後にした。

2mでは小池さんの声が聞こえ、帰路に付いた旨を連絡。小池さんは一般道で帰られるとの事だった。

渋川より関越自動車道上り線に乗り東京方面へ走る。

道路は思いの他流れていたので途中のサービスエリアで昼飯とする。

普通のラーメンの食券を買い、券をカウンターに出して待っていると、ラーメン系統の客が多く次々とラーメンが出てきたが「まっいいや」と言いながらおばさんが渡してくれたのはチャーシュウメンであった。

普通のラーメンとチャーシュウメンの違いはチャーシュが1枚のっているか3枚のっているかの差だ。

チャーシュウ2枚の大サービスに気をよくして食べたがまずまずの味だった。サービスエリアのラーメンなのでよしとしよう。

その後も車の流れはスムーズで、早武さん組は県横道へ、高橋さん組はそのまま首都高方面へ、私は川越インターで下り自宅へは明るい時間に到着した。

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