2001年伊豆大島移動運用記

第一章 計画 

 アンコとは「島の娘さん」と言う意味の言葉です。 アンコと言う方言が日常的に使われていた頃、島の娘が着ていた物があのかすり・前垂れ・頭の手ぬぐいだったので、現在ではあの着物を着た人を「アンコさん」と言い表すようになったそうです。

 大島移動準備のため早武さんは大島観光案内のHP(ホームページ)の掲示板へ「アンコさんの衣装を貸してくれる所はありませんか」と書き込みをしてくれていた。
  今年で3年連続の大島移動であり、気心知れた仲間との移動は楽しいが、ややもするとマンネリとなり、呼ぶほうも呼ばれる側も新鮮味を失ってしまう恐れがあった。

 昨年の秋から準備を開始した移動企画書には、今回も「勝手にアワード」をやろう、HF(短波帯)になるべく多くの局が運用し、関東以外からもアワードが狙えるように、と書いた。  また幾つかの催し物案の中には全員でアンコさんの衣装を借りて運用する事、と言うのがあった。 早武さんはさっそくインターネットを利用して情報収集をしてくれたのだ。

 移動日が3月16日に決定したのは前年の11月18日であった 今回は大島温泉ホテルを利用する予定であり、初日から全員ホテルに集まり運用しようか、との提案があった。しかしHF組みは毎年大島町役場にお世話になっており、この役場との友情も大事にしたいとの考えで今回も役場を使わせて頂くお願いをする事にした。

 1月13日大島移動予定のメンバーが西国分寺駅に集合し、事前の打ち合わせを持った。宿の予約は国原さん、船の予約は早武さん、等々役割分担と山組み2グループ、役場組み1グループの計3グループ編成とする事を決めた。

 私の役目としてHPに大島移動の案内を掲載し、CQ誌、JARLニュースにも移動の案内を出した。  役場へのロビー借用お願いの手紙は、担当の係長さんが変られて今年はI係長さん経由で教育長様宛の依頼とした。

第二章 船出

 竹芝桟橋22時丁度発のサルビア丸に乗り込んだのは星野OM、木村さん、早武さん、国原さんと私の5名である。
今年から東海汽船は全クラス指定席となり大きな荷物を持って座席確保をしなくても済むが、ギリギリに駆け込む人がいるらしく少し送れての出港となった。
宴会

船が動き出したのと同時に今回の移動の成功を祈ってさっそくビールで乾杯をする。
途中横浜港にて岡本さん柿原さんの2名を追加して一路大島へ向かう。 7名が揃い再度乾杯、酒の宴が進む。

岡本さんからJA1YVT府中事業所60周年記念カードが出来たヨ、とお披露目があった。JR貨物から最近注文頂いたEH500電気機関車と1952年製お召列車の機関車の写真が載っているQSLカードだ。
今回の移動ではJA1YVTも運用する予定であり、「今回の移動で使っても良いの?」「いいよ」「ヨ~し!」と盛り上がった。

 と誰かが「何か忘れてな~い?」 そうだ東京湾MMの運用が定番の行事なのだ、今回は早武さんが先頭を切って甲板へ駆け上がった。  
430のメインでCQを出すとすかさずコール頂いたのはJH1UYV本沢さんだ。
本来なら本沢さんもこの船に乗っているはずであったが事情で行けなくなり残念である。
甲板に集まったメンバーと順番に交信頂き激励の言葉を頂いた。本沢さんありがとう。

第三章 伊豆大島到着

 船は伊豆大島岡田港に定刻に到着、天気は晴れていたが、予報では下り坂で夕刻には雨の予想となっている。  
港でグループ毎に分かれ、星野OMと私はバスに乗って元町へ向かった。

 元町までは約20分の行程であるがバスの窓にはポツポツと椿の花が見えていた。海も今の所穏やかである。  
終点の元町に到着したが、昨年と同様に「この便に限り御神火温泉までサービス運転する」との案内があった。
バスに残ったのは我々2人のみだった。
元町のバス停に毎年会う人「民宿組合のお爺さん」がいた。達者な様子なによりである。

 御神火温泉へ向かう途中、「アレッ!皆んな此処にいる」とバスの窓に顔を付け星野さんが呟いた。
後で聞いた話しでは山組み一行は第一回目の大島移動に行って朝飯を食べた黄色い看板の店に行ったとの事。
大島の歴史を話してくれたおばちゃんは今年はいなかったヨとの事であった。

第四章 御神火温泉

 750円を払い御神火温泉へ入る。お風呂へ入り、朝食として明日葉(あしたば)の蕎麦を注文。
緑色をしたソバでなかなかの味であった。
ロビーには町でよく見掛ける景品をつかみポケットに落とすとその景品が貰えるゲーム機(ユーフォキャッチャー)が措いてあった。
興味を引いたのはガラスケースの中のアンコ貯金箱であった。

今年のアンコ貯金箱は東海汽船のHPのアンケートに答えて入手済みであるが、そこにあったのはなんと去年のアンコ貯金箱で両目が開いている物だ。
昨年から欲しい欲しいと思っていて、仲間では一体のみ入手でき、QSLカードのモデルとして早武家にのみある物だ。

 これは何とかして手に入れたいと観察すると、貯金箱は2体あるのだが、どちらも物理的に掴めない場所に転がっていた。
温泉受付のお嬢さんに事情を説明しガラス窓を開けて商品を掴める場所に移動して貰った。
そして100円を入れてチャレンジするも、つるっと滑って箱から落ち、また物理的に掴めない場所に転がっていった。
またお願いしま~す。と受付のお姉さんへ頼みにいった。
ユーフォキャッチャー

 それを見ていたアベックが、「そんなにその貯金箱が欲しいのですか?」
「うん!この貯金箱は両目が開いているでしょう!これはネ!去年のバージョンの貯金箱なんです」
「今年のは?」
「ウインクしているのが今年のです」
「へえ~!貯金箱通ですね」、と感心され得意になったが再度並べ替えてもらった物にチャレンジするも途中で滑ってとれず、500円まで損した状態で諦める事にした。

大広間へ戻ると星野さんが明日葉のジュースを注文したとの事、これを飲んだら出発しようと話していると濃いグリーンの色をした物が運ばれてきた。一口飲んだOMは一言「う~、まずい」。

第五章 役場にて

 約束の8時半に役場の入り口のロビーでI係長さんを待った。
5分程してI係長さんが来られ挨拶を交わす。
さっそく3階までエレベータで荷物を運び、さらに階段を上り屋上の入り口へ行くと椅子が3脚用意されていた。

準備して頂いていたことにお礼を言ってそっそく準備に取り掛かった。

 アンテナ設営は屋上正面の手すりが星野さんの場所、そこより20m程離れた南側の手すりを私が使う事にしている。
今回はローバンドCWにも出たいと考えG5RVを持って来た。
全長30mのワイヤーエレメントに300Ωのフィーダ10mを接続しオートチューナAH3でマッチングを取っている。
星野さんは自動伸縮のホイップを調整されていた。

 7Mをワッチしていると7.059で菊地さんの声が聞こえる、
ラウンドQSOで我々を待って頂いているのだ、「JF1RWZ聞いていますか?」と呼び出しが掛かり「もう少しで準備完了します」と待って貰った。

ラウンドQSOを聞きながらハムログを立ち上げて移動場所を設定したり、メモ紙とボールペンを準備した。

「ブレイク」
「JF1RWZさんですかブレイクさんどうぞ」
「こちらはJA1YVT/1大島町移動局」
大島からの第一声はクラブコールを使う事に決めていた。
JG1BIL/菊地さん、JA7ESQ/小山内さん、JA7CVL/佐々木さん、JH9DRX/谷口さん、と周波数確保のお礼と7名は無事大島に到着した事の報告を送った。
「それではお待ちの方」とCQに切り替えると「JA1YLL/1」東芝ライテックAMCの三橋さんだ、待っていて頂いた様子ありがとう。
三橋さんとの交信後からパイルが始まった。1、2,3,7,9,0エリアと中近距離のコンディションが良かった。

 クラブコールなので時々クラブ名とオペレータ名をアナウンスしながらのオペレーションであるが、時間平均60局のベースで交信出来て行く。
熱いパイルの中JR1MXX/高橋さん、JA1BUQ/力石さん、JQ2PYB/吉田さんと声がかかる。
星野OMは隣りでカチカチとキーを叩いておられる。11時19分まで114局と交信し7Mの運用を星野OMに交代して頂くことにした。

第六章.弁当

 7Mの運用をバトンタッチし、近くのスーパへ弁当の買い出しに行った。
外に出るとどんよりと雲がかかり霧雨が降っていた。
スーパは一区画南に行って海側へ少し下った所にあり、花や生鮮食料品や日曜雑貨が売っていて、レジの近くに弁当が並んでいた。
鮭弁当を二つ購入し役場へ戻った。
弁当

 星野OMのオペレーションを聞きながら弁当をぱくつく。
知っている人と交信しているのだろうか「岡村さんは今隣りでチャージ中です」との会話が聞こえる。  
弁当を食べ終わり一服していると星野さんから変ってとのサインが来た。
「まだ変ったばっかりであと2時間は運用して」とサインを送るが喉が痛いとの事だ。
船の中の乾燥した空気で喉を傷めてしまった様子だ。

 第七章 個人コール運用

 それではと、11時58分オペレータチェンジをした。
JF1RWZ/1の個人コールで開始するとJA1BUQ/力石さんJS1BCY/梶村さん7K2XEA/1植田さんとJAGメンバーから待ってましたとばかりに声が掛かる。
午後からは4,5,6エリアと西方面からも多数声が掛かるようになってきた。
朝からずっとパイル続きで途絶えることがなかった。

 I係長さんが見学に来られた。星野さんが椅子を勧め、二人の間に座って頂いた。
ヘッドホンジャックを外し相手の声が聞こえるようにし「こちらは大島支庁大島町移動局、椿祭り開催中の大島ですが本日は生憎の雨となっています」と交信の中にアナウンスした。
I係長さんも全国津々浦々から声が掛かって来るのを興味深くご覧頂いていた。
パイルが続いていたため説明が出来なかったが2、30分は参観頂いただろうか。

  雨が本降りになっていた。山組みは大変だろうなと思いながら交信していたが、山組みと交信した後に7Mに下りてきた局から「山組みは撤収すると言ってましたヨ」とQSPを頂いた。

 午後は3時15分まで、150局と交信、時間平均46局のペースで途切れなく呼ばれ大満足の運用だった。

 夜の運用もあるし早目に撤収する事にした。
雨の中アンテナを取り込みチューナ等外においた機材をタオルで拭きバッグに仕舞う。
後片付けが丁度終わる頃トントンと階段を登ってきたのは早武さんだった。「迎えにきましたヨ」早武さんの気遣いに頭が下がる。

第八章 大島温泉ホテル

 役場の防災センターに運用終了の挨拶をし、早武さん運転のレンタカーにて大島温泉ホテルへ向かった。
一気に海抜500mを上ると見晴らしの良い運用ポイントが幾つかある。
ホテルには6mの4エレ、2mと430のスタックが関東方面へビーム固定設置されていた。
ホテル

 夜の運用のためHFローバンド用アンテナを設営しする事にした。
雨の中で合羽を着ての作業であり、じっくり検討した作業が出来ない。
ついアンチョコな設営をして7Mのツェップと並行してG5RVを張り岡本さんに「何てことするの」と怒られてしまった。

 岡本さん国原さんが何時もお世話になっている地元のアマチュア無線家7N2IQI/山本さんを紹介頂いた。

  温泉に入り一息つくと夕食である。  
まずは7名が揃い今日の成果は良かったようで皆さん満面の笑みで乾杯をする。
宴会
岡本さんも標高のあるホテルで今夜は部屋でそのまま運用できるため何時もよりビールが進む。

椿油を使った「オイルフォンデュ」は日本語に直すと「天ぷら」であるが、魚介類よりも明日葉が美味い。
  仲居さんが要領良く天ぷらを揚げてくれるが明日葉が先に売り切れてサービスで追加して貰った。

 木村さんの話題は明後日発売予定CQ誌のアワードハンターの紹介コーナに登場する予定との事、その記事を投稿するに当たってのエピソードで盛り上がった。

 国原さんからは岡本さんと一緒に大島から利島にヘリで渡り移動を継続するヨとの話題。
JAGの申請まで9エリアのJAGメンバー2局を残すのみであるとの事だ。

トラさん移動隊で活躍中の柿原さんは28MのQRPで運用したが呼ばれなかったとの事。地理的にもQRPでは厳しかったようだ。
  早武さんは50Mで元町のリベンジが出来たようだ。

 私が昨夜は免許取りたての娘に車で送って貰い、車を電柱にぶつけた話しをすると、早武さんの娘さんは今年大学受験で第一志望の農業大学に合格し、今自動車学校に通っているとの事である。 
ここでBZVさんの合格祝いの乾杯をした。

 星野OMは酒の進み方がゆっくりだ。体に気を使っておられるのが良く分かる。
電気機関車の話しやコンデンサーは接続していなくても帯電する事、昔の出張の思い出話しも面白い。 

 部屋に戻り21時の1.9M運用予定まで少し時間があったのでお父さん(木村さん)に7Mで運用して頂く事にした。
「こちちらはJP1リマーパパゴルフ」の呼びかけに全国からお声がけがありパイルになった。
20時50分よりオペレータを星野OMに交代し1.9にて運用7エリアから4エリアまで20局程度交信し21時10分にQRTした。

 VU組みの部屋へ行って見ると岡本さんが430でJA1YVTをサービス中でパイルになっている。
国原さんは2mでサービス中、早武さんか愛娘のBZVさんと交信中であった。
21時18分 マイクを代って頂き、BZVさんへ大学合格のお祝いメッセージを送った。  
部屋へ戻ると星野OMはCWを叩いていた。カチカチのキー音を子守り歌に聞きながら布団の中でスーッと眠ってしまった。

第九章 二日目

 目が覚めて時計を見ると午前3時、まだ早いなと布団に潜り込むがすぐまた目が覚めて時計を見ると午前3時10分であった。
  これはだめだと起き上がる。こうなるともう眠れない。
そ~っとペランダ側へ行き、皆を起こさないようにと障子を閉めたが、星野OMを起こしてしまった。お父さんも、柿原さんも起きてしまった。

 年寄り4人組みは3時起床だ。外は真っ暗である。しぶ茶を入れて早朝のミーティングが始まる。7Mをワッチするとロシアのコンテストが開催されていた。
  星野OMが3.5MでCQを出すと午前3時にもかかわらずお声がけがあった。
北海道のOMさんだったと思うが、国鉄のOBの方で機関車のQSLカードの話題で盛り上がっていた。

 4時20分よりオペレータ交代し7Mでロシアコンテストに参加、EUのU局を狙って8局と交信した。
ハムログに交信記録を入力していると星野OMが目敏く観察し
「あれっ!QTHの入力はどうしたの?」
と質問があったポータブルの入力の場所で下矢印を押すとプリフィックスを判断し国名が表示されますヨと説明した。早朝からHAMLOGの講習会が始まった。

 5時を過ぎたので皆で朝風呂に入りに行った。
朝もやの冷たい空気を吸いながらの露天風呂は気持ちが良い。
朝食後は8時丁度からしばらくの間10Mを運用した。
今回はJR1DTN/佐藤さんに頂いたミニパドル(横ぶれ電信キー)を持って来た。
マッチ箱の大きさであるが、両面テープでテーブルに固定して使うととても具合が良い。
  10時に岡本、国原チームは次の目的地利島へ向けて出発するため、全員で記念撮影をする事にした。  
急いでフロントに行きアンコ衣装を3着借りてきた。風に煽られながら柿原さん、お父さんと私が着る事になった。
「気持ち悪い!」とか「一緒に写りたくない!」とかワイワイ言いながらの記念撮影は楽しい。
撮影

  記念撮影後はお父さんに最後の締めの運用をして頂く事にした。すぐにパイルになり、「移動地明記で」が、「いどうきめいきで」と聞こえ、とても微笑ましい。

 11時30分まで運用し撤収、12時7分のバスで岡田港へ向かった。
天候は回復し青空と穏やかな海が見えるている。
外輪山を降りるバスの車窓からは椿の森が見えた。  
天気が回復したのでたぶんヘリは飛ぶだろうと岡本、国原組の噂をしながらバスは岡田港に着いた。
OVB

第十章 アンコさん

 岡田港待合所の食堂には塩ラーメンしかメニューに記載がない。
5名は塩ラーメンを頼んだ。具にチャシューと明日葉がのっておりさっぱりとした味だ。

出発時間までだいぶ時間があり、土産物屋をひやかしたり土産物の椿をデジカメで撮影したりして時間を過した。
お父さんと一緒にベンチで座っていると、東海汽船のお見送りのアンコさんが水色の上っ張りを着て「お菓子どうぞ」 とサービスに回ってきた。
箱から紅葉饅頭を貰いながら娘さんを見ると、何処かで見た顔だな~と思った。
お父さんも気がつかれ、昨年のお見送り風景をHPに掲載したが、一番右側にいたアンコさんだと気が付いた。

 三年連続の大島移動であったが、地元の方とも顔なじみになった。
役場の皆さんを始めとして親切な方が多い。
いつもは元町港にある役場に直行しそのまま帰っていたため道路沿いの垣根の椿しか見ていなかったが、今回は外輪山の椿の森を見ることが出来た。
日溜まりの中の椿に春が近い事を感じる伊豆大島移動であった。  
大島の皆さん有り難う、お声がけ頂いた全国の無線愛好家の皆さんありがとう。

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