2000年伊豆大島移動運用記
第一章.この指とまれ会社の厚生施設である大島保養所がこの3月で閉鎖になるとの情報が入り、閉鎖になる前に行ってみよう、と早武さんから提案があった。昨年に引き続き2年連続の伊豆大島移動となるが、昨年の楽しかった思い出が蘇る。さっそく「行きます」と電子メールで参加表明を回答した。 昨年の移動メンバーである星野OMと、岡本さん国原さんの島コンビからも間髪を入れず参加意思表明があり、皆さんも昨年の移動が楽しかったことが窺える。木村さんがYVTミーティングの後の飲み会で参加意志表明、早武さんの奥さんと娘さんも同行する予定であり、最後に和智さんの参加表明があり計9名のメンバーが決定した。 今回のメンバーを紹介しておこう 特別参加の2人も紹介しておこう 第二章.伊豆大島が待っている 竹芝桟橋22時出船の東海汽船「かめりあ丸」に乗り込んだ一行9名はさっそくビールで移動運用の成功を祈り乾杯した。特別ゲストも加わり2等船室に輪になっていつもとちょっと違った雰囲気で宴会が始る。 ビールから酒に切り替わる頃、「そろそろ行こうか!」と岡本さんの掛け声が掛った。VUをメインとする山組み(三原山へ登って運用するチーム)の岡本隊長、国原、和智の3名は、アンテナ、三脚、ハンディ機とバッテリーを持って船の甲板へ上がって行った。マリンタイムモービルのサービスは伊豆諸島移動の時のこれは定番の行事だ。 残ったメンバーは酒盛りを続けた、アワードの話し、DXの話し、移動に行った時の話しと話題には事欠かない。 真理子さんに「今回は無線の運用をしてネ」と誰かが話しかけると、私はこれよと見せてくれたのは折畳式の昆虫採集網であった。真理子さんはへびもへっちゃらとの事である。八王子市にもアオダイショウがいるとか、ヘビの骨の標本の話しとか、何時もと少し変った話題でも盛り上がった。 しばらく経って甲板を覗きに行くと和智君がマイクを持って黙々とQSOをしている。岡本隊長が熱い眼差しで彼の交信する姿を見守っていた。そのひたむきさに「うーむ見込みがあるぞ」と思われたのではないだろうか。 12時の消灯で毛布をかぶり横になるとすぐに眠ってしまった。「もうじき大島岡田港に到着します」のアナウンスで目をさまし、ごそごそと身の回りの整理をした。 おや?、真理子姫の様子がおかしい。タオルを左の頬に当ててはなそうとしない。どうしたの聞いてみると目の回りが腫れてしまったとの事、せっかく楽しみしていた旅行なのにかわいそうだ。 船から降り立ち、山組みは予約しておいたレンタカーにて三原山へ、役場組みはバスにて元町へと向かった。 役場組みは昨年と同様に大島町役場教育委員の厚意で町役場の屋上とその出口を借用しての運用予定である。 第三章.大島町役場教育長殿 我々はアマチュア無線を趣味として活動しているグループで、四季を通して無線の移動運用を楽しんでおります。移動運用を通じて地元の方々との交流と、全国の無線愛好家との交信により友情の輪を広げたいと考えております。 と手紙に認め町役場での運用許可を貰った。 最終確認で「明日おせわになります」と役場のT係長さんに電話を入れたときに「元町に御神火(ごじんか)温泉と言う施設が出来て朝5時からやっているので一息入れて来て下さい」との案内を頂いていた。 終点の元町港に着く直前にバスの運転手からこの便にかぎり「御神火温泉」までサービス運行しますとのアンウンスがあり、我々はこのまま乗って行く事にした。 第四章.御神火温泉温泉と休憩設備の整った出来立ての奇麗な建物で、入り口に入場料1000円と書いてあったが、後の早武さんの会計報告では早朝割引があり750円であったと報告されている。 まずは荷物を大広間の舞台に置き一息入れた。 真理子姫はあいかわらずタオルを目に当てている。 ますば一風呂浴びてさっぱりしようと温泉へ入ることにした。 真理子さんも風呂から上がり、「熱いシャワーをかけたら少し良くなったみたい」と、おとうさんの生活の知恵も素晴らしいものがある。 8時になったので我々は町役場に向けて出発した。 役場二階の防災センターへ行き、二日間お世話になりますと挨拶。さっそく準備を開始したが、誰が何処にどんなアンテナを張るか暗黙の了解が出来ており、スムーズに事が運んだ。 早武さんが50MのSSB、星野OMが10MのCW、私は7MのSSBで第一声を出すことにした。 第五章.CQこちらは大島町移動局! 全員準備が出来、お互いに電波が干渉していないかを確認し「CQこちらは椿祭り開催中の大島支庁大島町移動局」を出したのが9時10分であった。CQを出し初めて2局目に「こちらは7K2XEA」と植田さんの聞きなれた声が入り、皆無事に到着し運用開始した旨を伝え、3局目からはパイルになった。 7L4APT大野さんは私の住む庄和町のタクシーの運転手さんで2年かけてCWをマスターされ先日見事3アマに合格されたが、7Mでの初交信だ!良かった。 JAGや関東アワードハンターズグループの方からもたくさんお声がけ頂いた。 JF1SSM岡村さんは暮れに一緒に飲んだがDXの情報をたくさんお持ちの方だ。 会社クラブのメンバーからもたくさんお声掛け頂いた。 親子運用 OMチーム 星野OM・木村さんチームはCWによるサービスが一通り済むとRTTYに切り替えサービスをされていた。RTTYの運用は今はパソコンによる文字通信であり、ボタン一つでCQを出し画面を見て応答があるかを待つ事となる。 暫らく応答がないとおとうさんが「マキエが足りないんじゃないの?」と「そうだね」と言いながらOMがCQのボタンを連続して押す。 ピーヒョロロが聞こえ画面に応答があると「おっ来た来た、、、おっWだWだ」と楽しんでいた。 第六章.大島保養所 初日の運用は16時に切り上げ、元町の観光案内所にてワゴンタクシーを手配し、保養所のある波浮港に向かった。 舗装された道路脇の垣根に椿の花がちらほらと見えるのを見てこれが大島の椿だと納得する事にした。 大降りになる前にアンテナを設営する事にし星野OM、おとうさんと私で14MのDPと7Mのツェップを張った。 アンテナを張り終え一風呂浴びていると山組みのメンバーが帰ってきた。「どうだった?」和智君に聞いても黙っている。国原さんが横から「和智さんは切れずにズーット交信してましたヨ」とフォローしてくれた。 風呂から上がると宴会だ。山組みが風呂から上がるのを待ちきれず一回目の乾杯が始まる。 山組みも揃い、遅く来た和智君のコップに真理子さんがビールをお酌してくれ、「ヨーッ!」と大きな掛け声が掛る。再度乾杯をして今日の成果はどうだった、誰それが声をかけてくれたとか、あの人から声が掛らないがどうしたのか、彼は今日は仕事だと言っていたとか、賑やかな一日目の反省会だ。 そろそろ料理を食べ尽くした頃「行くぞ!」と岡本隊長の号令が掛った。20時を過ぎているが、これから山組み定番の夜間帯運用が始まるのだ。3名は再度支度して三原山へ出発した。 残った役場組みはお酒を確保し部屋で二次会だ。星野OMが3.5と1.9のリクエストに応えたいと14のDPをホイップに組替え、7Mツェップをカウンターポイズにして運用した。 3.5はすんなり交信出来たが1.9は聞こえてこない。1.9は同調の取れたある程度高さのあるアンテナが必要そうだ。 第七章.二日目は雨目が覚めるとOMがヘッドホンを被りカチカチとキーを叩いていた。朝5時を少し回っていたが木村さんも起きてきた。OMは朝飯前の一時を7MにてJA1YTSをしばらく運用し、雨の中アンテナを撤収した。 朝食は30分前倒しで7時半に頼んでおいた。1階の食堂に全員集合したが和智君の元気がない。真理子姫もタオルを左の頬に当てたままで朝の挨拶だ。 元気を出して貰いたいが外は生憎の雨が降り続いている。岡本さんより「この天気なので早上がりしますか?」との提案があったが、せっかくなので予定通り15時まで運用する事に決定。雨が降っていたので保養所の室内にて記念撮影しそれぞれの運用場所に向かった。 役場組みは予約しておいた昨日と同じワゴンタクシーにて元町へ向かった 二日目はOMが14MのRTTYでスタート、私は10MのCWでスタートした。9時3分開始いきなりパイルとなったがパイルは30分で終了した。10MCWは昨日からの通算で150局と交信している。呼んでくれる局が少なくなったので7Mのアンテナを設営し早武さんへバトンタッチした。 昼食は役場の裏にある中華ソバ屋に行った。 4名テーブルが5卓ほどあるこぢんまりとした店だ。町の中心部にある食堂で港からも少しはなれており、地元の客が数名いた。壁にはオムライス、チャーハン、ラーメン類と一品料理が短冊に書いて張ってある。 OMは味噌ラーメンを注文、たっぷりのもやしと厚めのチャーシューが一枚のっかっている。おとうさんはピーマンも丸ごと炒めたダイナミックな酢豚ライスだ。早武さんはチャーハンと餃子を注文、チャーハンのお焦げが美味いとの事。私はかたやきそばにした。とろみのある野菜がたっぷりで美味い。 皆満腹となり食堂から引き上げた。雨は上がっていたが風が少し残っており役場前の道路から屋上を見上げると9mの釣竿ポールを利用した7MHzダイポールが大きく風に煽られて揺れていた。 第八章.歩道橋午後の運用も多くの方に応答を頂き、いつも声を掛けてくれる方もまた初めて繋がる方からも「頑張って下さい」と激励の言葉を頂き大島へ来た甲斐があった。 15時に撤収、後片づけをした。忘れ物はないか、ゴミが残っていないか屋上を一回りして確認し、役場事務所へ終了の報告とお礼の挨拶に行った。日曜日であったが、たまたま教育長さんが出勤されておられ挨拶をすると、「T係長より手紙は見せてもらいました。昨年に続く事業はうまく行きましたか?」 ジギョウの言葉にはびっくりしたが、「はい昨年以上に全国の無線愛好家と交信が出来ました」と報告しお礼を言って役場を後にした。 風向きの影響か帰りの船は元町港出船に変更されていた。 横須賀港から京浜急行横須賀中央駅まではかなりの道のりである。疲れた体で25kgのリュックサックを背負って釣竿ケースに入ったアンテナを持っての徒歩はつらい。 リュックの肩紐が食い込んきて痛い。やっとの思いで駅前広場まで来て、「エーッこの歩道橋をを登るの!」皆で顔を見合わせる。我々は最後の力を振り絞って歩道橋を登り、そこに有ったベンチに座り込んだ。息をととのえながら仲間を見ると、体は疲れきっていたが皆満足した顔立ちであった。 みなさんありがとう 73 |