1999年 伊豆大島移動運用記 

99/03/30 JF1RWZ
  岡村 潤一

第一章 何を持って行こうか の巻

 会社のいつものメンバーからアマチュア無線移動運用のお誘いがあった。今回は伊豆大島への移動計画であり、2月の最終の土日に実施する事が決まった。

 私にとって車を利用した移動運用は何度か経験があったが、今回は船での移動であり、持ち物はおのずと人が持って運べる範囲となる。

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 移動メンバーの「運用予定周波数と設備を事前に申し出なさい」との計画委員からの電子メールには、持って行くIC706MK2を考えてワークバンドを含むHFと回答した。
 一緒に行く予定の星野OMからも10M、14M、18MのCWとの申請があり、OMも最近人気ががある10Mの電信でのサービスを考えておられるようだ。

 さて、持って行く物はリュックと手提げバックとアンテナを建てるためのポールに使う釣竿のケースの3つにまとめる事として持ち物予定リストを作成した。

 リグは小型のトランシーバIC706MK2と連絡用のハンディ機に限定し、アンテナは3.5からワークバンド含めたすべてのHFに出たいとの欲張り運用を考えアイコムのアンテナチューナAH4を利用したロングワイヤーと、予備の7Mダイポールにした。

 ケーブルもばかにならない重さとなるため3D2Vの同軸ケーブル20mを秋葉原にて購入してきた。もう一つの工夫として、横ぶれキーもばかにならない重さとなるのでマイクロスイッチを利用した横ぶれキーを作ることにした。

 子供から借りたリュックは真っ赤だったので、釣竿ケースも赤、帽子も赤に統一した。

第二章 「公民館」の巻

 今回のメンバーはJARLのアワード委員他各方面で活躍されておられ移動運用サービスの大ベテランJA1CKE星野OM、北大東島親子移動を成功され衛星通信や最近はSSTVに凝っておられるベテランのJH1MKU早武さん、全国津々浦々移動運用のベテランであり、日本野鳥の会メンバーの7L3ATQ岡本さん、群馬の移動ではこの人の右に出る人はいないと言われており、マイナス20度の野外移動でもヘッチャラのJL1OVB国原さん、と錚々たるメンバーである。

yamagumi 島での運用は当初レンタカーを2台借りて二手に分かれようかとの案があったが、5人でなるべく同時運用が出来て、色んなバンド、色んなモードをサービスしたいとの希望を持っていた。

 レンタカー利用の場合は車のバッテリーが利用出来るが、3人組みでカローラクラスのバッテリーではちょっと辛い、何とかAC電源が利用できる場所はないだろうか、と考えて公共の施設で部屋を貸して貰えそうな所を探してみることにした。

 まず大島町町役場の観光課へ電話を入れた。

「大島町で管理されている公共施設で安く部屋を貸して頂ける所はありませんか?」と問い合わせ、当方の主旨を伝えた。
「役場の建物に総合開発センターがあり、有料で会議室の貸し出しは出来ますが、その日は町の文化祭を予定しており利用できません、公民館のロビーなら無料で貸しても良いですヨ」との返事を頂いた。

 公民館ってどんな建物だろう、2階建てかな?アンテナ立てる敷地はあるのかな?期待と不安でいっぱいであった。

 「お願いの手紙を出したいのですが何方に出したら良いでしょうかと」聞いてみた。電話での約束では心許ないので、出来ることならば利用許可証のお墨付きを貰いたかったのだ。
 たまたま電話に出てくれた人が教育委員会の人で後で聞いてわかったがのだが、T係長さん「では教育長のYさんへ手紙を出して下さい」との事であった。

 依頼の手紙には 大島町へ観光を兼ねての移動運用計画を立てており、公民館のロビーと100ボルトの電源を借用させてください、とお願いした。
「我々の目的はアマチュア無線を通じて地元の方々との交流と、全国の無線愛好家との交信により友情の輪を広めたい。また今回は「椿まつり開催中」のメッセージを全国の無線愛好家へ伝えます」貴大島町PRにお役に立ちたい旨を伝えた。
返信用の封筒に切手を貼り、利用許可証の文案を同封して郵送した。

返事が来ない。明日くるか明日くるかと待っていたが来ない。どうしよう、教育長さんが許可を出してくれないのかな、、、日増しに心配か募る。

posto

 とうとう移動予定週の月曜になってしまった。我慢できずに町役場の教育委員長さんへ直接電話を入れた。

 「その話はT係長から聞いています。詳細はT係長と話しをして下さい」との返事だった。やったー!、これで教育長さんに了解して頂いている事が分かった。

 T係長さんからは、「町からの手紙は出しません土曜日朝8時30分2階の防災センターに来てください」との返事を頂いた。お墨付きは貰えなかったが、間違いなく此方の希望は伝わっており、T係長からは「長いテーブルと折畳み椅子3脚用意しておきます」と言われた時は本当に嬉しかった。

 お墨付きなど要らない!、我々の希望を理解してくれている人がいる!これで十分だった。 

第三章 「公民館」は何処にある?の巻

昨夜からの低気圧が発達し、横殴りの雨の中、岡田港からタクシーに乗った。

taxi「運転手さん元町の公民館へ行ってください」返事は「公民館って何処だろう、知らないなー」、「町役場から5、6分と聞いていますが」、
「そんなもんあったかな」....
タクシーのワイパーはカシャッ!カシャッ!と無表情に降り続ける雨を跳ね除ける。
「岡田にはあるみたいだけど元町には聞いたことないなー」、、、、

 カシャッ!.../ カシャッ!.../

「ではとりあえず町役場へ行ってください!」
夜も明けきれぬ薄暗闇の中、着いた所ろは3階建てのビルが灰色に見えていた。

yakuba雨は降りつづけている...

「お客さんどうします、とりあえず元町港の食堂で夜が明けるのを待ったらどうです」、

 我々はタクシーの運転手さんの提案を受け入れることにした。元町港の堤防は岡田港以上に風が強く轟々と荒波を被っていた。

 急いで重い荷物をタクシーのトランクから食堂に運び入れる。

おかみさんにお茶を入れてもらってやっと一息ついた。周りを見回すと、そこにはクサヤを肴にビールを飲んでいるおにいさんがいた。何時入ってきたのか気が付かなかったが親子連もいた。皆この風雨の中駆け込んできた旅人であろう。

 「此処は東京都大島支庁の大島町だよネ」、住所の話をしていると、おかみさんは我々の注文した朝定食を作りながら話してくれた。

 「大島は以前は静岡県だったんですよ、ですから静岡弁を話す人がたくさんいますよ、今は東京都になっていますが観光が中心ですから東京都でないとやっていけないんでしょうネ。車の免許を取るのに大島に教習所はありますが、卒検は鮫洲まで行くのですヨ」との話。

 「いやーそれは大変ですネ、泊りがけで行くのですね、試験に落ちたらもう一泊ですか」「島の人には特別に日に2回まで試験を受けさせてくれるみたいですヨ」との事。

 でも大変だなーと思った。おかみさん「元町に公民館ってありますか?」気になっていることを聞いてみた「公民館?昔はあったんでしょうけど最近は聞きませんね-」、

kyaku 外は相変わらず雨が降りつづけている。気が付くとクサヤを食べているお兄さんの前に民宿組合のバッジを付けたお爺さんがいた。

 お爺さんはおかみさんに「バターをくれ」っと、おかみさんから3cmくらいの角切りのバターをフオークにさして貰うと、一口でほうばってパクパクくと食べてしまった。我々3人は唖然として見ていた。隣りの親子ずれも唖然としていた。

おかみさんから「この人はコーラを10本飲みながらカラオケを歌う人ですヨ変わっているでしょー」続けて「そうだこの人に聞いてみようヨ、町の事は何でも知っているから!ねえ公民館って知ってる?」返事は同じであった。

 朝定食が出来上がった、我々3名はは黙って食べた。「まあ8時半になって役場に行ってみれば分かるヨ」と誰かがポツリと言った。

 8時15分になった。外は明るくなり雨は小降りになってきたが、風は相変わらず強い。波で洗われている堤防を横目に重いリュックを背負って役場まで歩いた。途中平屋の民家を指差して「こんな所かなー」と誰かが言った。

町役場は開いていた。言われていたとおり二階へ上がり、人がいたのでT係長さんはいらっしゃいますかと聞いたがもうすぐ来ると思いますのでちょっと待ってて下さいとの事、やがて現れたT係長さんは気の良さそうな人でさっそく案内してくれた。

 「それではどうぞ!」私は外へ出て案内してくれるのか、それとも地図を見ながら行き先を教えてくれるものと思っていたが、なんとT係長は役場の階段を上がって行ったのである。唖然としてついて行くと3階のロビーで、「此処で良いですか!」 なななんと我々が探し求めていた「公民館」とは町役場そのものだったのだ。

3人はしばしポカンとしていた。窓から外を眺めると国旗を掲揚するポールが3本見えた。早武さんが「屋上に上がれますか?」と聞いた。

「上がれますヨ」もう一階階段を上がった所に屋上に通じるガラスの扉があり、前に長テーブルがおけるスペースがあった。 3人の顔に微笑みが浮かんだ「ありがとうございます。ここを是非使わせてください。」とお願いした。

第四章「CQこちらは椿祭り開催中の大島町移動局」の巻

 今回の移動運用は第二章で紹介した4名と私の計5名で山組みと公民館組みに分かれた。我々3名、星野OM、早武さん、と岡村は公民館組みであり大島町役場のご厚意で町役場の屋上出口の階段を上り詰めた場所と踊り場を借りての運用となった。

 8時半からアンテナの設営に取り掛かった。3階建ての屋上は相変わらず風が強かった。早武さんは430八木スタックの準備、OMは7MHzのツェップ、私はAH4を利用したロングワイヤーを張った。第一声OMの電信によるCQには大島町の局から応答があった。少し遅れて私の10M電信でのCQに答えてくれたのはJE3ORT大阪の岸さんだった。

 しばらく呼ばれつづけたが、雑音が多い!となりで運用中の星野さんへ話し掛けた「なんか雑音多くないですか?」「うんそうだね多いネ」。
>私のロングワイヤーアンテナはエレメントが7メートル、コールドエレメントは5メートルを10本張っている。本当は20本は欲しいのだが、重くなるので半分しか持ってこなかったのだ。
 雑音に我慢して運用を続けたが、OMに10Mに出てもらう事にし、私は7Mのダイポールの設営に掛かった。

 屋上で作業中にOMが呼びにきた「いま14Mのリクウェストがあったんで出てくれ」との事、おっとり刀で引き返し14.050でCQを出すが、雑音の中なかなかコールが取れない。
4エリア2局と6エリア1局とUA(ソ連)2局と交信したが、OMにリクウェストした方は聞こえない。「OMダメです、スキップしているみたい」。
「SRI NW QRN」(電信で、ごめんなさい今雑音が多いです)と打って、やりかけていた7Mダイポールの設営に取り掛かった。

不平衡型のアンテナより平衡型のダイボールアンテナの方が雑音に強いと思ったからだ、7Mを聞いてみると思ったとおり雑音は減っていた。
OMから「こっちも減ってきたよ」との事。なんだ時間が解決してくれたのか、雑音が少なくなりやりやすくなった。

7Mの電信でCQを出すが、誰も呼んで来ない。おかしいなこんなはずじゃないのに、ではSSBに出てみよう。
7.066の空き周波数を探し「CQこちらは椿祭り開催中の大島町移動局」マイクを握り締めて声をだす。いきなりパイルになった。

「3エリアの方どうぞ!」「ラストSの付く方どうぞ!」「福島と言われた方どうぞ!」パイルの中から取れたコールの一部分を使って相手を指定する。最初は遠慮がちに声を出していたが、構ってはいられない、エキサイトして段々声がでかくなる。

隣りでヘッドホンを掛け電信を打つているOMがこちらを見て苦笑する。早武さんもSSTVの運用なので静かである。私だけがマイクを握り締め大声を出していた。

「こちらはJH9DRX/1」私がレポートを送っていると後ろから「谷口さんだ」と言いながら早武さんがメモを持って飛んできてくれた。大島移動出発の前日電子メールで谷口さんから応援のメッセージを頂いていた。移動の情報が色々なルートを経由して伝わったとの事。我々を陰で応援してくれている大勢の人がいる。感謝。

「こちらは7L3ATQ」山組みの岡本さんだ「そちらの状況はどうですか」「6メータも出ているが呼ばれているよ、さっき7Mで岡村さんと交信した局が声掛けてくれたよ」山組みから好調の様子を伝えてくれた。

 7Mを夢中で交信していたので気が付かなかったがOMが弁当を買ってきてくれた。
周波数確保のためにOMに代って頂いて私も食事を取った。OMのオペシーションはすばらしい、また「チャーリキロエコー」と発声されるその声は喉にマイクコンプレッサが組み込まれているかのように力強い声である。

 食事の後も7Mで呼ばれつづけた。JR1MXX高橋さん、JP1LKG木村さん、JG1BIL菊池さん等、会社のクラブメンバーとも交信出来た。

 「大島町は始めてです」、とか「最後に残っていた大島支庁ができて10MでWAGAが完成しましたありがとう」(JR2IAC藤井さん)とか全国からたくさんの喜びの声と励ましのメッセージを頂いた。

 WAGAは日本全国の全ての郡との交信であり支庁は一つの郡としてカウントする。最後の1郡を提供出来た事それだけでも重い荷物を持ってここまで来た甲斐があった。

第五章 アマチュア無線は楽し の巻

 山組み、公民館組みそれぞれの満足した顔のメンバーは横浜港大桟橋に降り立った。 偶然にもまた山組みと公民館組みで帰る方向が異なり、遠距離まで行くの山組みのタクシーはすぐ見つかった。

 公民館組みは横浜線を利用する予定で、東神奈川駅までタクシーで行きたかったのだ。数台のタクシーは客待ちしていたが、近場までの客には良い顔をしない。いわゆる乗車拒否である。

 「東神奈川まで行ってもイイッスヨ」と言ってくれたタクシーの運ちゃんがいた。

taxi2良かった!3人は重い荷物と無線のアンテナに使うポールを後ろの荷台につんだ。

「釣れましたか?」運ちゃんが話し掛けてきた。「イヤー釣りに行ったのではないんですヨ」

「えっ!釣りじゃないの?大島に行く人は椿を見に行くか釣りしかないんじゃないの」運ちゃんは怪訝そうに聞き返す「無線をしに行ったのですヨ」「無線ってアマチュア無線?」「そう」「へー大島に行くと何か良いことあんの?遠くに届くとか」。運ちゃんは若いころ“初歩のラジオ”の雑誌を見てゲルマニュウムラジォを作ったことがありアマ無線も嘗ては興味を持っていたとの事である、なぜ大島に行ったのかは星野OMが分かりやすく説明した。

 IOTAの話、全市全郡のアワードの話、他コンテストの楽しみ等アマ無線の一通りの楽しみ方を説明した。免許の取り方を含め説明したところで東神奈川駅に着いた。あのタクシー運ちゃんにアマチュア無線に再度興味を持ってもらった事も今回の大きな成果だった。

 今アマチュア無線の人口が減っている。理由は携帯電話の普及やインターネットの普及で若い人を中心に人気がなくなっていると説明されているが、本当にそうだろうか。私も携帯電話を持っている、インターネットもやっている。しかしアマチュア無線が大好きだ。そこには 偶然の出会い、リアルタイムな会話、何十年ぶりの再会、パイルアップ、季節や時間で刻々と変わる電波状況の中での遠距離交信、気の合った仲間とのラグチュー(とりとめもないことを時間を気にせずに話をする事)等アマチュア無線ならではの楽しみがある。

 若い人たちがアマチュア無線の楽しみの本質を理解するチャンスがないのではないだろうか、本当の楽しみ方を知ったらもっともっと若い人の無線人口が増えるのではないだろうか。それには我々が思いっきり楽しんでいる姿を見せるのが一番だと思っている。

imag2 あの人はなぜあんなに重い荷物を持って山へ登るんだろう!、島へ渡るんだろう!、そこには何かあるにちがいない、と思ってくれたらしめたものだと思う。

皆さんありがとう!

 今回お世話になった皆さんの顔が瞼に浮ぶ。町役場のT係長さん、元町の食堂のおかみさん、バターを一口で食べるお爺さん、東神奈川まで行っても良いよと言ってくれたタクシーの運転手さんありがとう。

そして我々の「CQこちらは椿祭り開催中の東京都大島支庁大島町移動局」に応答してくれた全国のアマチュア無線愛好家の皆さん。ありがとう。

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